fc2ブログ

Home

御無沙汰しております。

えー、御無沙汰しております。

現在仕事がオーバーフロー気味でして、まったくブログが更新できておりません。
インドブログの途中から更新がなくなったので、インドで死んだ説が一部に流れましたが、わたくしは至って元気でございます。
とはいえ御心配下さった方々には大変申し訳なく、また心ぐるしい状況で、ただいま土下座しつつキーボードに頭を打ちつけながらこれを書いております。ほんとごめんねー。
年内には大きい仕事が山を越えますので、更新はそれ以降ということになるかと思いますが、まあ良かったら待っててもらえるとうれしいです。

取り急ぎ、おわび&生存のご連絡まで。

サマソニ2011。

8月13日、14日とサマソニへ。
一日目の夜から参戦したのだけれど、KORNに間に合ってよかった。
ほんとはZIGGY MARLEYも見たかったのだけれど、都合がつかなかったのです。
夜は屋台で飯を食ったり、ミッドナイトソニックで踊ったりしてホテルへ。

2日目はthe telephonesでいきなりテンションマックス。
マリンステージに移動してゼブラヘッド(ゲスト:ダンディ坂野www)で暴れた後は、THE JON SPENCER BLUES EXPLOSIONとかHOUSE OF PAINとかの懐かしい演奏をビール片手にゴロゴロしながら見る。
Bootsy Collinsは残念ながら時間の関係で見に行けず。残念。
で、夕刻からはP.i.L。
うわー、初めて生で見るよ、ジョン・ライドン。
あなたがバンドを始めたころ、わたくしは2歳でした。
中学生の時にはじめてやったバンドで弾いたのはもちろんあの曲でしたよ。
はは、お互い年取りましたな。
などと考えてしんみり。
その後は、一応レッチリなど見て、SUEDEをちょっとのぞいて帰る。

充実の2日間だったのだけれど、なつかしいバンドがいっぱい出ていたせいかなあ、なんか追憶に浸りがちでした。
うーむ、知らない間にずいぶん遠くまで来たもんだ。うーむ。

R0016733.jpg

R0016740.jpg
KORN!

R0016770.jpg
HOLLYWOOD UNDEAD。
マスクしてると、なんとなくSlipknotを思い出しちゃうよね。

R0016750.jpg
すげー色のかき氷。やっぱこういう毒々しい色じゃなくちゃね。

R0016755.jpg
フォー。なかなかおいしかったです。

R0016763.jpg
次から次へと食いまくっております。

R0016768.jpg
グリーンカレー&ガパオ。

R0016775.jpg
ビールとお好み焼きでハッピー。

R0016757.jpg
ケバブ。これもビールに合うよね。

R0016746.jpg
屋台も活気があってよい。

R0016765.jpg
タイ料理!うれしい!

インド思考停止。【3:アーグラ編】

【3:アーグラ編】
デリーからジャイプールまでは車で6時間ほどかかったのだけれど、ジャイプールからアーグラまでもまた車で6時間ほどの道のり。
アーグラからデリーまでも6時間かかるとのことだったので、この3都市は三角形を成しているのですね。
しかし、そろそろケツが痛くなってきたぜ。

場所はこのへん。

大きな地図で見る

■ファテープル・シークリー(Fatehpur Sikri , فتحپور سیکری , फ़तेहपुर सीकरी : 世界遺産)
アーグラ約40km西に位置する、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって建設された都市。
水不足と猛暑がひどく、わずか14年間(1574年~1588年)しか使用されず棄てられてしまったとのこと。
宮殿は全体が赤砂岩でできていて、なんとなく荒涼とした雰囲気。


Fatehpur Sikri : auto rickshaw
ファテープル・シクリから下りてくる途中で拾ったオートリキシャー。
もちろんリキシャーは「(人)力車」からきているのです。
そして左でしゃべりまくっているのは、現地ガイドのオッサン。

RIMG6170.jpg
パンーチ・マハル。
遊戯、納涼、展望のための施設であったらしい。
しかし、パンーチって日本人には発音しづらいよね。

RIMG6154.jpg
池の中央にある舞台では踊り子達がおどりを踊っていたという。

RIMG6173.jpg
ディーワーネ・ハース。
皇帝の私的な謁見のための建物とのこと。
CGか何かなんだろうけど、たしかターセム・シン監督の「落下の王国」で、この建物爆破されてたよねえ。

RIMG6147.jpg
ディーワーネ・ハース内の風景。
謁見時、機密事項はこの柱の上で話し合われたそうです。
なんか作りがスターウォーズっぽくてかっこいい。

■アーグラ城(Agra Fort : 世界遺産)
デリーからアーグラへの遷都に伴って皇帝アクバルの命により着工し、1573年に完成したムガル帝国時代の城塞。
全体は赤砂岩主体のとても重厚な造りなのだけれど、アウラングゼーブが父親を幽閉した「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)は白大理石でできている。
「囚われの塔」なんていうと、ついついカリオストロの城とかを連想してしまうのだけれど、囚われの塔というわりにはかなり広く、作りも豪華です。

RIMG6355.jpg
入り口。
ぱっと見、ディズニーランドのアトラクション入り口みたいに見える。

RIMG6354.jpg
とっても重厚。

RIMG6346.jpg
広いから庭師もたいへんだろーなー。

RIMG6335.jpg
ここが「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)。
窓からはヤムナー川(ガンジス川の支流)とタージ・マハルが見えるようになっている。
幽閉されたシャー・ジャハーンは、どのような思いで自らが建てた建物を眺めていたのだろうか。

RIMG6321.jpg

■タージ・マハル
言わずと知れたタージ・マハルである。
先述のシャー・ジャハーンが、死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟ですね。
タージ・マハルの落成後、シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に自分自身の黒大理石の廟を建設しようとしたのだけれど、この負担が民衆にとってあまりにも大きく、結局、息子によって幽閉されてしまったのである。
当時の民衆にしてみればふざけんなよって話なのだけれど、川を挟んで向かい合う白と黒のタージ・マハルという光景はちょっと見てみたかった気もする。

ちなみに、これまで訪れたインドの世界遺産はどこも大した入場チェックをしておらず、結構いい加減だなーと思っていたのだけれど、タージマハルではかなり厳しい入場チェックを受けた。
荷物検査と金属探知、門の上にはライフルを持った軍人。
ふーむ、やっぱりインドの象徴的建造物だけのことはありますね。
やればできるんだから、ほかの世界遺産ももうちょっとちゃんとしたらいいと思うよ。

RIMG6271.jpg
タージマハルに近づく場合は、この白いネットを靴の上に履かなければならない。
嫁が「かっこいい!鑑識官みたい!」と喜んでいたのだけれど、正直なところ彼女のツボはいまいちよくわからない。
中央は入場チケットを買うともらえるペットボトル(水)入りのバッグ。

RIMG6226.jpg
タージマハルの左右にモスクが立っていることは意外と知られていない。
こちらは左(西)のモスク。

RIMG6233.jpg
モスクの中から見るタージマハル。
よく見るとわかるのだけれど、猿がモスク内をぶらぶら歩いてました。

RIMG6236.jpg
西側のモスクはメッカの方を向いているので、壁にはミフラーブ(メッカの方向を示す窪み)がある。
回教徒はこれに向かって祈りを捧げるのです。

RIMG6273.jpg
東側から見たタージ・マハル。
霊廟と言われてもあまりピンと来ていなかったのだけれど、近くでその荘厳な佇まいを眺めていると、なんとなく納得できるような気がした。

RIMG6276.jpg
世界的に有名な建造物にはだいたい定番の写真撮影方法があって、たとえばピサの斜塔を倒れないよう支えるポーズなんかが有名だけど、タージ・マハルといえばこれですね。ドームの先端をつまんでいるようなポーズ。
ちょっとずらした角度から撮影されるとすごくかっこ悪いことになるので、どうしてもやりたい方は周囲に注意されたし。

RIMG6282.jpg
霊廟の門の外には、混沌とした日常が渦巻いている。


tajmahal : electric car
タージ・マハルの敷地内で運行している電気自動車からの風景。

【旅の終わりに】
アーグラからデリーまでの帰り道、6時間ほど車に揺られながら、ずっとパティ・スミスを聴いていた。
埃っぽい空気と、単調な風景と、オレンジ色の褪せた太陽の光を眺めながら、ただ黙って彼女の歌を聴いているうちに、なんだかひどく気持が沈んでしまった。
理由ははっきりしていた。
インドのあちらこちらで目にした、貧困の風景。
カーストにすら入れない人々の生活は想像以上にひどかったし、出自によってこれほど明確に階級が分かれる社会制度というものを目にしたのも初めてだった。
体の不自由な部位を指し示して物乞いをする少年、幼い子供を抱いて食事をねだる母親、諦念のようなものを身にまとったまま路上にじっと座っている老人。
バクシーシ(施し)を求める人の波は地の果てまでも続き、それをかき分けて歩いて行くうちに、わたくしは酷い徒労感にとらわれてしまった。
わたくしは誰一人助けることができないし、指の間を滑り落ちる喜捨も、人々の渇きを煽るだけの役にしかたたないようだった。
そこではわたくしは驚くほど無力で矮小で、阿呆のように突っ立って目の前に展開される現実を見ているしかなかった。
それでも、とわたくしはデリーに向かう車に揺られながら思った。あと半日もすれば自分はこの場所を離れ、ぬくぬくとした「わたくしの現実」に戻って行く。
そのことを考えると、わたくしはなんだかすごく後ろめたい気持ちになった。
何かを見捨てるような、見て見ぬふりをしてその場を立ち去るような、なにかの不正を働いて自分だけが楽に生きているような、そういう気持ちに襲われて、ぐったりと疲れてしまったのである。

インド、もう少し若いうちに行っておけばよかったかな、と思わなくもない。
でもまあ、行って良かったかと問われれば、行って良かった、と答えるしかない。
この「答えるしかない」という言葉のニュアンスが自分の中でなんとなくしっくりくるのは、きっとまだ自分の中で色々なことが整理できてないからなんだろうなと思う。
でも、ほんとにそんな整理のつかない場所なのだ。
インドって。

【おまけ】
食べ物


機内食
古い記事 【Older Entries】→

Home

Page Top