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インド思考停止。【3:アーグラ編】

【3:アーグラ編】
デリーからジャイプールまでは車で6時間ほどかかったのだけれど、ジャイプールからアーグラまでもまた車で6時間ほどの道のり。
アーグラからデリーまでも6時間かかるとのことだったので、この3都市は三角形を成しているのですね。
しかし、そろそろケツが痛くなってきたぜ。

場所はこのへん。

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■ファテープル・シークリー(Fatehpur Sikri , فتحپور سیکری , फ़तेहपुर सीकरी : 世界遺産)
アーグラ約40km西に位置する、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって建設された都市。
水不足と猛暑がひどく、わずか14年間(1574年~1588年)しか使用されず棄てられてしまったとのこと。
宮殿は全体が赤砂岩でできていて、なんとなく荒涼とした雰囲気。


Fatehpur Sikri : auto rickshaw
ファテープル・シクリから下りてくる途中で拾ったオートリキシャー。
もちろんリキシャーは「(人)力車」からきているのです。
そして左でしゃべりまくっているのは、現地ガイドのオッサン。

RIMG6170.jpg
パンーチ・マハル。
遊戯、納涼、展望のための施設であったらしい。
しかし、パンーチって日本人には発音しづらいよね。

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池の中央にある舞台では踊り子達がおどりを踊っていたという。

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ディーワーネ・ハース。
皇帝の私的な謁見のための建物とのこと。
CGか何かなんだろうけど、たしかターセム・シン監督の「落下の王国」で、この建物爆破されてたよねえ。

RIMG6147.jpg
ディーワーネ・ハース内の風景。
謁見時、機密事項はこの柱の上で話し合われたそうです。
なんか作りがスターウォーズっぽくてかっこいい。

■アーグラ城(Agra Fort : 世界遺産)
デリーからアーグラへの遷都に伴って皇帝アクバルの命により着工し、1573年に完成したムガル帝国時代の城塞。
全体は赤砂岩主体のとても重厚な造りなのだけれど、アウラングゼーブが父親を幽閉した「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)は白大理石でできている。
「囚われの塔」なんていうと、ついついカリオストロの城とかを連想してしまうのだけれど、囚われの塔というわりにはかなり広く、作りも豪華です。

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入り口。
ぱっと見、ディズニーランドのアトラクション入り口みたいに見える。

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とっても重厚。

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広いから庭師もたいへんだろーなー。

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ここが「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)。
窓からはヤムナー川(ガンジス川の支流)とタージ・マハルが見えるようになっている。
幽閉されたシャー・ジャハーンは、どのような思いで自らが建てた建物を眺めていたのだろうか。

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■タージ・マハル
言わずと知れたタージ・マハルである。
先述のシャー・ジャハーンが、死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟ですね。
タージ・マハルの落成後、シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に自分自身の黒大理石の廟を建設しようとしたのだけれど、この負担が民衆にとってあまりにも大きく、結局、息子によって幽閉されてしまったのである。
当時の民衆にしてみればふざけんなよって話なのだけれど、川を挟んで向かい合う白と黒のタージ・マハルという光景はちょっと見てみたかった気もする。

ちなみに、これまで訪れたインドの世界遺産はどこも大した入場チェックをしておらず、結構いい加減だなーと思っていたのだけれど、タージマハルではかなり厳しい入場チェックを受けた。
荷物検査と金属探知、門の上にはライフルを持った軍人。
ふーむ、やっぱりインドの象徴的建造物だけのことはありますね。
やればできるんだから、ほかの世界遺産ももうちょっとちゃんとしたらいいと思うよ。

RIMG6271.jpg
タージマハルに近づく場合は、この白いネットを靴の上に履かなければならない。
嫁が「かっこいい!鑑識官みたい!」と喜んでいたのだけれど、正直なところ彼女のツボはいまいちよくわからない。
中央は入場チケットを買うともらえるペットボトル(水)入りのバッグ。

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タージマハルの左右にモスクが立っていることは意外と知られていない。
こちらは左(西)のモスク。

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モスクの中から見るタージマハル。
よく見るとわかるのだけれど、猿がモスク内をぶらぶら歩いてました。

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西側のモスクはメッカの方を向いているので、壁にはミフラーブ(メッカの方向を示す窪み)がある。
回教徒はこれに向かって祈りを捧げるのです。

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東側から見たタージ・マハル。
霊廟と言われてもあまりピンと来ていなかったのだけれど、近くでその荘厳な佇まいを眺めていると、なんとなく納得できるような気がした。

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世界的に有名な建造物にはだいたい定番の写真撮影方法があって、たとえばピサの斜塔を倒れないよう支えるポーズなんかが有名だけど、タージ・マハルといえばこれですね。ドームの先端をつまんでいるようなポーズ。
ちょっとずらした角度から撮影されるとすごくかっこ悪いことになるので、どうしてもやりたい方は周囲に注意されたし。

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霊廟の門の外には、混沌とした日常が渦巻いている。


tajmahal : electric car
タージ・マハルの敷地内で運行している電気自動車からの風景。

【旅の終わりに】
アーグラからデリーまでの帰り道、6時間ほど車に揺られながら、ずっとパティ・スミスを聴いていた。
埃っぽい空気と、単調な風景と、オレンジ色の褪せた太陽の光を眺めながら、ただ黙って彼女の歌を聴いているうちに、なんだかひどく気持が沈んでしまった。
理由ははっきりしていた。
インドのあちらこちらで目にした、貧困の風景。
カーストにすら入れない人々の生活は想像以上にひどかったし、出自によってこれほど明確に階級が分かれる社会制度というものを目にしたのも初めてだった。
体の不自由な部位を指し示して物乞いをする少年、幼い子供を抱いて食事をねだる母親、諦念のようなものを身にまとったまま路上にじっと座っている老人。
バクシーシ(施し)を求める人の波は地の果てまでも続き、それをかき分けて歩いて行くうちに、わたくしは酷い徒労感にとらわれてしまった。
わたくしは誰一人助けることができないし、指の間を滑り落ちる喜捨も、人々の渇きを煽るだけの役にしかたたないようだった。
そこではわたくしは驚くほど無力で矮小で、阿呆のように突っ立って目の前に展開される現実を見ているしかなかった。
それでも、とわたくしはデリーに向かう車に揺られながら思った。あと半日もすれば自分はこの場所を離れ、ぬくぬくとした「わたくしの現実」に戻って行く。
そのことを考えると、わたくしはなんだかすごく後ろめたい気持ちになった。
何かを見捨てるような、見て見ぬふりをしてその場を立ち去るような、なにかの不正を働いて自分だけが楽に生きているような、そういう気持ちに襲われて、ぐったりと疲れてしまったのである。

インド、もう少し若いうちに行っておけばよかったかな、と思わなくもない。
でもまあ、行って良かったかと問われれば、行って良かった、と答えるしかない。
この「答えるしかない」という言葉のニュアンスが自分の中でなんとなくしっくりくるのは、きっとまだ自分の中で色々なことが整理できてないからなんだろうなと思う。
でも、ほんとにそんな整理のつかない場所なのだ。
インドって。

【おまけ】
食べ物


機内食

インド思考停止。【2:ジャイプール編】

【2:ジャイプール編】

ジャイプールはデリーから車で約6時間ほど、南西約260kmの場所にあるラージャスターン州の州都である。
この街にはピンク・シティーという別名があるのだけれど、これは昔、イギリスの王子を歓迎するために何故か市街の建物をピンク色に塗って以来、なんか気に入っちゃったんだろうね、ずーっと街の建物をピンク色に塗ったくる習慣が残っているからだそうです。
なので、ピンク・シティーといっても別にキャッキャウフフ的な産業が盛んなわけではない。お間違いなきよう。

ちなみに、デリーを出てからジャイプールに向かうに道中、田舎になるに従ってだんだん動物の姿が増えてくる。
なんかインドと言うと、
「街中のいたるところで牛がモーモー言ったり、草食ったり、それを反芻したりと忙しく、おかげで交通渋滞が頻発している」
みたいなイメージがあったので、デリーでは路上に佇む牛の姿が見えなかったことにちょっとがっかりしていたのだった。
でもまあそこはやはりインド、田舎に進むに従って、実際に6車線道路の真ん中で牛がモーモー言っていたりするのである。
あと、何となくカルチャーショックだったのは、ラクダをけっこう頻繁にみること。しかもヒトコブラクダ。
そもそもインドでラクダというイメージがあまりなかったのだけれど、なんとなくヒトコブラクダは北アフリカと西アジア、フタコブラクダは中央アジアという曖昧な記憶があったので、ヒトコブラクダがあちこちで荷物を運んだり車を引いたりしているのを見て、ん?どうしてここにあなたが?と何度も問いかける羽目になった。
その他、野性猿とかリス、たまに象(もちろん飼われている)なんかも見かける。
インド象という分類があるくらいなので、まあ当たり前といえば当たり前なのだけれど、なんかインドの路上で象を見るっていうのもちょっと違和感がありますねえ。

あー、あとインド人がクラクション鳴らしまくるというのはほんとです。
超鳴らす。もう鳴らしまくる。
市街地なんかは道が込み合っているせいでひどい状態なのだけれど(下の動画参照)、郊外の広い道路に出てもこれがおさまらない。
ちょっと車を抜くときでもクラクション鳴らしちゃう。
なんだようるせーなー、と思いつつ窓の外を見ていると、前を行くトラックの後部にはほぼ100パーセントに近い確率で、「BLOW HORN(ホーンを鳴らせ!)」とか「HORN PLEASE(ホーンお願い)」という文字が派手な色で書かれているのですね。
ああ、求められてるんじゃ仕方ないよね…鳴らしちゃうよね…。
と、理解力のあるふりをして肯いてはみたものの、うーん、やっぱりわけがわからない。
眠れぬわたくしを乗せて、車は一路ジャイプールへ。


Delhi : cycle rickshaw
デリーのオールドバザールに向かう途中、サイクルリキシャー(人力三輪)から撮影した眺め。
まじビービーうるさい。現場にいると耳が痛くなります。


ちなみに、こちらがBlowHornと書かれたトラック。
インドはトラックが多いけど、ほぼみんなこんな感じです。
あと、最後の方でちらりと野良牛が出現。
(デリーからジャイプールへの道中)


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ちなみにジャイプールはここらへん。

■シティパレス
旧市街の中心にある宮殿。
ジャイプルの城郭都市を建設したマハラジャのサワーイ・ジャイ・シン2世によって1726年に建造されたとのことで、現在も敷地内にはマハラジャの子孫が住んでいるらしいです。
かんけーないけど、シンってインドのメジャーな名前なんですかね。
マンモーハン・シンって首相いたし、タイガー・ジェット・シンってインド人プロレスラーもいたしね。
インドメタシンとか薬に使われてるしね。
……。
…えー、というのは冗談で、インドメタシンはインドール環と言う有機化合物の構造を持っているためにそう呼ばれております。みんなの大好きなインドメタシンはインドとは特に関係ないので、お友達にも教えてあげようね!

ちなみにパレスの中は一部博物館の様になっているので、ぶらぶら見て回ることができます。

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緑がもさもさしていてかわいい。

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ここでもヒンズーとイスラムの建築様式混交が見られる。

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■ジャンタル・マンタル(Jantar Mantar:世界遺産)
この売れない芸人みたいな名前の遺跡はシティパレスの付属施設で、この旅で楽しみにしていた場所の一つ。
一見するとなんかイサム・ノグチの彫刻展覧会場みたいに見えるのだけれど、これらは全てアートじゃなくて天体観測儀なのです。
つまりこの場所全体が16世紀の天文台なんですねー。
すごい!かっちょいい!などと大興奮して見て回る。
マジで鼻血出ます。

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ね、ちょっとアートっぽいでしょ。
でもこれは占星術の為に十二宮の運行を図る観測儀で、ちゃんと12体、それぞれの方向を向いているのです。
ぱねぇ。

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こちらは同じ構造を持つ日時計。
上の写真で見えるU時の部分に目盛が刻んであり、そこに落ちた陰で現在の時刻を知ることができる。

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このでっかい窪みは、真中にあるマーカーを使って天体の運行を計測するための機械。
その精巧な作りとデザインに、しばし我を忘れて見入る。

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かっこいいので、もう一枚。
ここで昔の天文学者や占星術師が研究をしていたんだなあ、とか考えるだけで胸熱。

■風の宮殿(हवा महल , Hawa Mahal)
1799年、この街を治めていたラージプートの王サワーイー・プラタープ・シンによって建てられた建築物。
ここもシティ・パレスの一部で、5階建ての壁面には通りに面しているものだけで953の小窓があります。
宮廷の女性達は基本的に人に姿を見せられないので、この小窓から街や祭りの様子を眺めたそう。
小窓から入った風(ハワー)が涼しいので、風の宮殿(ハワー・マハル)と呼ばれているらしいっす(←モヤサマ風)。

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5階は階段があるだけの吹きさらし構造なので、窓の向こうに空が見えております。

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なんかキュートな作り。

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こうやって小窓から街を眺めていたのです。

■アンベール城(Amber Fort)
元々はアンベール王国の首都であった砦を、ムガル帝国司令官であったラージャー・マン・シンがいじくり倒し、その後も150年間にわたって改築が続けられたという巨大な城。
その眺めはとても美しく、そして王を失った全ての古城がそうであるように、どことなく物悲しい。
そういう雰囲気がとても好きです。

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長い長い城壁に囲まれた、非常に立派なお城。

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象に乗って入城することもできます。
石畳の雰囲気が重厚で良い。

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太陽の門をくぐって左手にある、一般謁見の間。
ここで一般人たちが「マン・シンさん、チィーッス」などといって頭を下げていたのだ。

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イスラーム美術の基本要素といえばアラベスク。
アラベスクと言えば、「60度に交わる3つの平行線群」ですね。
で、窓の格子も六芒星なわけです。

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きれいな庭。
直交座標もイスラーム建築の特徴ですね。

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象が、えっちらおっちら山を登る。

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猿がいたのだけれど、カメラを向けた途端に背を向けられた。

インド思考停止。【1:デリー編】

インドの空港に降り立った瞬間、独特の匂いがするという。

ある作家はその匂いを「熟れた果実の香り」と表現し、あるエッセイストは「人々のひしめき合う空間から発される、集合生命体としての体臭」と規定し、旅行好きの友人は単に「あそこ、カレーの匂いがする」と言った。
わたくしの友人が表現力に乏しいばかちんなのは仕方ないとして、どうやらインドと言う国はスパイシーな香り漂う不思議空間であるということらしい。
そういう話をあちこちで読んだり聞いたりして、長い間「ふーん、そんなものなのか」と思っていたのだけれど、よくよく考えてみるとすっごいウソ臭い。
その国独特の匂い?またあ。じゃあ何ですか?国境超えたら匂いが変わるんですか?
「オウフwww。拙者、先刻までスパイシーな印度の香りを感知しておりましたが、ふひひ、つい先ほどより車窓から流れ込む空気に濃密なバター茶の匂いが混ざってござる。よってここはwww!チベット自治区www!コポォwww」みたいな?
うっそー、うそだよー。そんなのおじさん信じらんない。
みんなかっこいいこと言おうとして、ちょいちょい話盛ってない?異国情緒の演出やりすぎじゃない?
考えれば考えるほど何だかどうにも怪しいので、わたくしはちょっくらインドに確かめに行ってくることにしたのであります。
コポォ。

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そんな訳で、
「インド渡航経験者のスタイリッシュな虚言を暴く!」
という大志を胸に秘めたわたくしは成田空港の出国審査を終え、揚々とインド行きの機内に乗り込んだのだったけれど、そこに待っていたのは信じがたいほど卑劣な敵の罠だった。
落ち着いて聞いてほしい。
…すでに機内がインドくさかったのである。
わたくしが何を言っているのか、にわかには御理解いただけないと思う。
だがしかし、そこにはすでに「インドの匂い」としか形容の出来ない、独特のスパイシーな匂いが漂っていた。まだ日本国内なのに。離陸もしてないのに。
あるいは渡航費用をケチってJALではなくエアインディアにしたのがまずかったのかも知れないが、とにかく機内でこんな匂いを8時間も嗅がされていれば鼻が慣れてしまい、インドに着いて飛行機を降りても、そこに独特の匂いがあるかどうかなんてわからないに違いない。
なんたる狡猾な罠か。
完全に敵の術中に落ちたわたくしはもうテンションだだ下がりである。
不貞腐れた態度で飛行機のシートに身を沈め、
「あーあ、もうインド行くの止めよっかなー」
などと呟いてキャビンアテンダントにぎょっとされたりしながら、それでもわたくしを乗せた飛行機は定刻通り、西の空へと旅立ったのである。

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インドに向けて飛行中(でも機内はすでにインドくさい)。
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【1:デリー編】

それから8時間後の現地時間17時15分、わたくしは昨年7月にオープンしたばかりのインディラ・ガンジー国際空港第3ターミナルにいた。
そうして空気をくんくんしたり、念のため深呼吸などしてみたりしたのだけれど、やはり機内の匂いに慣らされているせいか、何の匂いも感じ取ることができなかった。
くそー、なんなんだよ。
わたくしだって、
「それまでは疑っていたものの、インドの空港に降り立った瞬間、そこには確かに濃密な果実の香りが漂っていた」
などとブログに書いてカッコつけたかっ…もとい、インドを旅した先達・諸先輩方の体験談に花を添えたかった。
あるいは最低でも予告通り、インド旅行経験者の虚言を暴いてやりたかったのである。
しかるに現実は!鼻まで馬鹿になった真正馬鹿が一人!インドの空港で!くんくんしたり深呼吸したりして!結果、何一つ得るものなし!
という暗澹たる結果に終わりました。
…そんな訳ですので、次回からは通常通り、高円寺の食べ歩きブログに戻ります。

………。
……。
…っていうのもなんかさびしいじゃない?
というわけで、インドで見てきた遺跡なんかをご紹介。



大きな地図で見る
ちなみにデリーはここら辺です。

■クトゥブ・ミナール(Qutub Minar , قطب منار :世界遺産)
奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって建てられた、モスク付属のミナレット(礼拝告知塔)。
高さは72.5mもあり、美しい彫刻と合わせて圧倒される。
このすぐ近くには、100mを大きく超える予定だった未完の塔、アライ・ミナールの土台なんかもある。

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クトゥブ・ミナール。
彫刻の精巧さには思わずため息が出る。

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周辺の遺跡。
インドではわりと多いのだけれど、ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した装飾になっております。

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未完の塔、アライ・ミナールの土台。
よく見ると内部が二重構造になっているのだけれど、時節柄、なんとなく「炉心」という言葉が頭をよぎる。


■フマユーン廟(Humayun's Tomb , हुमायूँ का मक़बरा , ہمایون کا مقبره :世界遺産)
タージ・マハルのモデルになったともいわれる、ムガル帝国の第2代皇帝フマーユーンの墓廟。
確かになんかタージ・マハルに似てるような気がするなー。

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入口からの眺め。

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どーん!って感じの安定感あるデザイン。美しいですねえ。

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建物の中央の玄室。
この白大理石でできた石棺は仮の墓(摸棺・セノターフ)だそうで、実際のフマーユーンの遺体を納めた棺はこの直下に安置されているとのこと。中央アジアの葬送に由来した形式だそうです。


■ラール・キラー(Lal Qila , लाल क़िला , لال قلعہ :世界遺産)
赤い城(レッド・フォート)あるいはデリー城とも呼ばれる、ムガル帝国時代の城塞。
毎年8月15日のインド独立記念日にはここで首相演説が行われるそうで、この時はその準備のため、内部に立ち入りができませんでした。
残念。

RIMG5935.jpg


■インド門と大統領官邸
おなじみのインド門ですが、これって慰霊碑だって知ってました?
第一次世界大戦で戦死した兵士を追悼するために造られたそうで、高さ42mのアーチには約8万5千人のインド人兵士の名が刻まれているとのことです。
で、ここをまっすぐ進むと大統領官邸があります。

RIMG5941.jpg
足元には「永遠の火」という炎が灯されている。

RIMG5949.jpg
大統領官邸の門。
もともとはイギリスが派遣したインド総督の官邸で、現在はプラティバ・パティルという女性大統領がお使いです。

RIMG5950.jpg
門の奥の眺め。
先日ムンバイでテロがあったばかりなので警備がピリピリしてるのかと思いきや、そうでもありませんでした。


■おまけ:インディラ・ガンジー国際空港第3ターミナル
まだ昨年の7月に出来たばかりの為、空港内は非常にきれいです。

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出発ロビー。

aRIMG5860.jpg
到着ロビー。

RIMG6374.jpg
空港内トイレ入り口。
たしかにどっちが男性用でどっちが女性用か一目瞭然なんですけど…あの…そんなにガン見されると、正直入りづらいっす。

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ちなみに本エントリのタイトル元ネタは、勘の鋭い方ならおわかりでしょうが、下の2冊です。
インドに来るとみんな何かを考えちゃうみたいなのですが、わたくしはいつだって思考停止状態ですよ。
えっへん。

 
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