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フレイザー図形にみる彷徨の諧謔的隠喩について。

半ば迷子が趣味である。
迷子になると、これまで見たことのない新鮮な風景に出会えるし、時として予期せぬ発見があったりもするしね。なんつーんすか、束の間の街角探訪?みたいな?
という安っぽい発言でお茶を濁し、折角立っていた茶柱を沈めて不幸になるのは簡単だが、要は単なる負け惜しみである。
だってそうでしょう?いつも時間の有り余っている自由人ならともかく、こちらには毎日の予定もあればアポイントもある。はっきり言って迷子になってる時間なんかねえんだよ、と思いながら日々暮らしているのだけれど、大抵の場合気付いた時にはもう手遅れで、呆然と見知らぬ路地に立ち尽くしていることが多い。
もうおわかりかと思うが、わたくしはかなりの方向音痴である。
方向音痴という言葉が差別的なら、方角関係に弱い人、方向弱者、あるいは馬鹿、などと呼んでもらってもかまわない。
とにかく、方向音痴というのはもう持って生まれた病気のようなもので、本人の意思とは全く無関係に発揮される特殊能力である。
たとえばあなたが突然、都内の見知らぬ路地に置き去りにされたとしよう。もしあなたがまともな方向感覚の持ち主であれば、ランドマークなどを頼りに、複雑極まる都会の迷路を(しかも比較的易々と)脱出するだろう。しかし方向関係に弱い人はこれができない。頭ではランドマークを探すとか、曲がった角の総計からおおよその方角の検討をつけるとか、そういうことはわかっているのだが、なぜかそれがうまくいかない。なぜかうまくいかないから、病気なのである。
一時期は「北半球では太陽に時計の短針を向ければ、その短針と文字盤12時のちょうど真ん中が南を指している」などという高度な知識を身につけ、実践してみたりもした。しかし、街中での遭難に際しては、こういう知識ははっきりいって無駄である。そんなことをしなくたって道に迷わない人はちゃんと希望の場所に辿りつけるし、方向音痴の人は余計な情報に惑わされて、普段以上に奇怪な進路をとるだけである。
で、方向音痴の人は様々な努力をした挙句、まったくもって目的地にたどり着けないストレスから、様々な心理状態を体験する羽目になる。
道に迷ったかな、と気付いた時点でまず最初に感じるのは、「またやっちまった」というような自責の念である。
次に感じる感情は若干責任転嫁気味で、「なんなんだ、この道。複雑すぎるだろ。作ったやつは阿呆に違いない」という苛立ち。
その次は「どうなってんだよ、全然わけわからん」というような戸惑いで、そろそろ心が弱ってくる。
このあと30分以上経ってもまだ抜け道が見つからない場合、心は完全に打ちのめされ、不安にとらわれてしまう。
「ええと、ちょっと、さっきは阿呆とか言ってすみませんでした。いいかげん出口教えてください。おねがいします。まじで」というような心境になる。
まったくもって、ドナドナの仔牛ぐらい不安である。泣きそうっていうか。鳴きそうっていうか。
こういう悲惨な状況の時にわたくしがよく連想するものは二つあって、ひとつは天にまします何者かが地上を見下ろしながら、同じところをぐるぐる回り続けているわたくしを指さして、ばっかじゃねーの、とか言いながらポテロングを食べている光景である。
いまひとつは錯視で有名なフレイザー図形で、これは実に端的な迷子のメタファーだと思う。
知らない人は下の図形を見て欲しいのだけれど、白黒の線が中心から螺旋状に渦を巻いているように見えるでしょ?でも渦の好きな場所を指さして、そこから白黒の線をたどってみてください。指先は外側にも内側にも行かず、ただずっと同じ場所を回り続けるだけだから。
つまりこれが迷子の本質である。
本人は外側なり内側なりに向って前進を続けていると思っているが、実際はおなじような場所を堂々巡りするばかりで、どこにも辿りつけない。ニーチェおじさんの予言した、永劫回帰の顕現。カジュアル地獄絵図。
実におそろしいことである。

ってなことを考えながら、さっきから出先で道を失って、携帯片手に呆然とした気持でこの文章を書いている。日が沈みかけている。
わたくしはもはやなす術もなく、ただだらしなく笑ってゐる。

フレイザー図形

追伸:このあと、ちゃんと家にたどり着きました。半泣きで。

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